望むものが全て手に入るなら、どんな人生を送りますか?
その日は朝からダメだった。
気力・体力ともに落ちていて、気分は滅入り、体はだるくてだるくてたまらなかった。
どういうわけか、前日まではかなり活動的だったものだから、その落差もきつく、たかだか数日動きまわっただけでこの体たらく、これで日本に帰って働ける?社会復帰できなくね?ムリじゃね?という思いがさらにわたしを憂鬱にさせ、やっぱりわたしに必要なのはスピルチュアルだ、スピリチュアルが心の支えになるならばそれでいいじゃないか、あぁセドナに行きたい…と、ベッドの中でセドナへの航空チケットとホテル料金を調べることからその日は始まったのでした。
ネットサーフィンはセドナから数々のヒーリング情報を経て、自己啓発の波へ、そこで「自分を知る方法」と題されたページヘと辿り着きました。
そこには「自分を知る」ための5つの質問が書いてあり、その中の1つが「望むものが全て手に入るなら、どんな人生を送りますか?」という質問でした。
面白そう、なんとなく興味を惹かれたので、わたしは重い体を引きずるようして紙とペンを用意し書き出してみることにしました。
最初に思いついたのは、「あたたかいところへ別荘を建てて、気の赴くままにのんびり過ごす」。だけど、その直後に現実的な考えが首をもたげます。
別荘とか持ったら維持するの大変じゃない?費用もかかるし、お手伝いさんもいるし、そもそもどのくらいその別荘で過ごすつもりよ。高級ホテルのほうが良くない?もったいなくない?
いやいや、これは妄想です。
そういうことも全てクリアできるのが、望むものが全て手に入った人生なのだから、と気を取り直し、自分の欲望を思いつくままに書いていきました。
風向きが変わったのは中盤、「旦那さんにも好きなことをしてもらう(女関係を除く)」と書いたこと。その辺りから、何かを「したい」ではなくて、何かを「してあげたい」に変わっていきました。
そしてわりと集中して書き進めること数十分、気がついたら「無の境地で静謐な生活を送る」と書いていて、手が止まりました。
うわぁ、わたしが最終的に求めているものはこれか。
これ書いちゃうと、なんだかこっ恥ずかしくて最初の頃書いてた「別荘!」とか「おいしいごはんとおやつを毎日おなかいっぱい食べる!」とか見れない。見ちゃおれない。だけど、自分の理想の人生の道すじが、すこーしだけ分かった気がしました。
とりあえず、いまやりたいことはやっとかなきゃいけないですね。じゃないと無念で静謐な生活が送れないですね。
こうしてその日は、気の赴くままに本を読み、お菓子を食べ、家でぬくぬく過ごしたわけですが、こういう完全OFFの時間って必要だと思うんです。なんか自分の怠惰を正当化してるっぽいけどー。ただ、この調子の良し悪しの振り幅は狭くしたいし(辛いから)、完全OFFの時間は出来る限り短くしたいのが本音です。
名曲をひとつ。
残業後の仕事帰りの電車の中とかで聞いたら、絶対泣く。